出雲大社を出て車で少し走ると、稲佐の浜(稲狭の浜)という砂浜に出る。
ここは、日本神話でもかなり有名な「国譲り」の交渉があった場所とされる。

国譲りの話は、古事記に書いてあるが、日本書紀にはほとんど(まったく?)触れられていない。これは、
古事記と日本書紀の性格の違いによる。
古事記は朝廷の権力の正当性を国内に示すために、古代からの神話を中心に作られたもの。
日本書紀は国外に向けて日本という国をアピールするために歴史中心に作られたもの。
これらの違いから、国譲りの話(出雲神話)は日本書紀に載らなかったらしい。
どっちが面白いかというとのは人それぞれだろうが、私は物語性が高い神話が多く含まれている古事記の方が面白いと思う。何しろ、古事記に書かれている日本神話に魅かれて出雲に来たのだから。

国譲りの話をざっくり書くと、こんな感じ。
1.
大国主(オオクニヌシ)という国つ神(クニツカミ・地上の神様)が葦原中国(アシノハラノナカツクニ・日本)を統一した様子を見て、
天照大御神(アマテラスオオミカミ)がこの土地は高天原(タカマノハラ・天の国)によって治めるのがふさわしいといい、高天原の神様である天つ神(アマツカミ)を派遣した。
2.天と地の神々の間で裏切ったり争ったりすったもんだした結果、武力に優れた
建御雷(タケミカヅチ)が大国主の子神であり国譲りに反対していた勇猛な
建御名方(タケミナカタ)を諏訪に追いやって争いに決着をつける。
3.国譲りを再度迫る建御雷に対し、大国主は高天原の神々が住む宮殿に匹敵するくらいの宮殿を出雲に建ててくれれば、国を譲ると交渉する。
4.天照大神がそれを了承し、出雲大社を作ると、約束通り大国主は出雲大社に籠って高天原に国を譲った。
ちなみに、稲佐の浜は稲羽(因幡)の白兎の伝説の場所でもある。因幡の白兎の話は、白兎がワニを騙したせいでひどい目にあったというものだが、その後日談として、大国主は白兎を助けている。

さて、話を国譲りに戻すが、上記の国譲りの話を読んでみると「譲る」なんて穏やかな言葉ではとても言い切れないくらいの出来事があったように思える。
神話は古代にあった歴史が元になっていることが多々ある。もし、この神話が史実に基づいて作られたものだったとしたら、出雲神話は高天原が出雲を征服した話ということになるのではないだろうか。
ここで、高天原がどこを指すのかが問題になってくる。九州の勢力とか渡来人とかいろいろあるが、まあ、どっかの国が出雲国を征服し、大和朝廷になったんじゃないかということ。
出雲国は豊かであり鉄が取れる場所でもあったため非常に勢力の強い国だった。そのため、反乱が起きるのを大和政権は危惧していた。大和朝廷は出雲地方の後々の反乱を恐れ、滅ぼされた民の怨念を鎮めるために作ったのが出雲大社なのだろうという考えがかなり有力視されている。
※ちなみに、国譲りの際に反対をして最後まで争ったタケミナカタだが、この神様が封印された諏訪地方の諏訪湖には、タケミナカタを祀る神社がある。この神社で執り行われる儀式は、周辺の神社のような農耕民族系とは異なり狩猟採集系らしい。こういう儀式の違いからも旧勢力と新勢力の抗争の歴史が感じられる。
・・・少し話が脱線したので戻す。
そして、「
出雲大社」の記事で触れた二拝四拍手一拝の意味というのも、ある説ではこう解釈されている。
通常よりも柏手を多く打つことで、出雲大社に封じ込めている大国主に対して「
ずっとここに籠り、復活してはいけない」と言い聞かせている。
元々の意味がこういう理由だったとしたら、参拝客は知らずに古代の神様(実在した古代の一勢力)を封じ込めているということになる。なんだかぞっとする話なのでした。なんだか、トルコ編で書いた「
イスタンブール~地下宮殿のメデューサの謎を勝手に推測~」に似た背景だな。
まあ、今はインド方面から伝わってきた神様と合体して福を呼ぶ大黒様になったわけだから、深いことは考えずに縁結びや家庭の幸せとかを祈りつつ手を合わせればいいと思う。メデューサもナザール・ボンジュというお守りに形を変えることで、かつて地母神であった名残を残しているし。

とりあえず、神話の里に住んでいる猫はそんなややこしい事を考えない、ふつうの可愛い猫でした。
ニャーニャーいいながら、足元にまとわりついてきてメチャクチャ可愛かった。
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古事記による大和政権の正当性の理由
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