※ボルネオ編のまとめのような内容です。
ボルネオは祖父(数年前に他界)が第二次大戦時に駐屯していた場所だ。
祖父は生前よく懐かしそうに思い出話をしていた。おそらく今の私と同じくらいの年(当時27)の頃のことだろう。
旅を始めた当初、とにかく早くインドまで!と思っていたが、ベトナムでふと祖父のことを思い出し、ボルネオに立ち寄ることを決めた。祖父の見ていた風景と、当時の彼と年齢が近くなった自分が見る風景、これがどのくらい変わったのか確認したくなったのだ。
そして旅を重ね、ボルネオ(インドネシアの街ポンティアナク)に到着し、初めて見る街の風景は近代化した都市の姿だった。
戦後60年程たっているので、さすがに当時と同じとは思っていなかったが、予想以上の発展具合だった。半世紀以上の時間の流れ、そして石油の出る島。ボルネオの大発展はこれらの条件に帰因していることは間違いない。
ポンティアナクを一日歩きまわった後、バスに乗ってクチンへ行くことにした。
バスに乗り街を抜け、少し郊外に出ると目の前にジャングルが広がってきた。
その木々を見ながら、たぶんジャングルの風景は昔も今もそれほど違いはないんだろうな、と考えていたら、祖父が思い浮かべてた記憶に少しだけ触れることができたような気がして、無性に涙が出て止まらなくなった。バスの中、一人でボロボロ泣いてるのは少し恥ずかしかったのだが。
…それまで、祖父が亡くなったことを強く感じたことは少なかった。
もちろん亡くなったという事実は理解していたのだが、実感としてはまだ近くにいる、そんな気がしていた。
そんな気持ちのまま見た、この景色。
戦争という辛い時代の祖父の青春。
祖父に映ったこの景色。
遠く、近く、様々な死をみてきた祖父は、おそらく今の私の何倍もの「生」をこの場所で感じていたのだろう。ことあるごとに同じことを話す祖父の目にはいつも懐かしさとともに輝きがあった。
その祖父は数年前に亡くなっていた。
そんな単純な事実を今、遅ればせながらようやく理解したのだった。
それから、私はブルネイ、マレーシア(サバ)をまわり祖父の足跡を本格的に探すことにした。しかし、直接のヒントは持っていない。何しろ祖父は懐かしそうに思い出話をする割に駐屯地の名前を言うことがなかったので詳しい場所がわからなかったのだ。
ところで、この島の川は(泥水でないところは)濃い紅茶色をしている。枯葉か土壌の成分が関連しているのだろうが、はっきりした理由は分からない。不思議な水の色だ。
確か、この島にはまだ海を見ることなく自然に近い生活を続けている人達がいた。海を見ることなく一生を終えるかもしれない彼らにとっては水は紅茶色をしているのが常識なのかもしれない。例えどこかで『海は青い』と聞いたとしても。
そう考えると、時にしばられがちになる常識の該当範囲も、実は割と狭いものなのかもしれない。
ちなみに後で聞いたところによると、水が赤いのはピートという腐葉土の一種のせいらしい。ピートは栄養分を多く含んでいて、魚をピートの水で飼育すると成長が良くなるとのことだ。
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ポンティアナク(インドネシア領)
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ボルネオ(カリマンタン)編