杭州は一日泊まっただけだった。
西湖という大きな湖があるらしいのだが、なぜか杭州に到着した途端、自分の中の移動の虫が騒ぎ出したのだった。上海の騒々しさに疲れて静かな場所を期待していたせいかもしれない。
ホテルにチェックインしてから、すぐに駅に戻り切符売場へ向かった。
杭州では
上海南駅よりも「没有」の連続だったが、何とか翌日の切符を入手。列車の発車時刻まで杭州の街歩きをすることにした。
杭州については宿周辺しか歩いていないので多くは語れない。
ただ、車の多さや建物の数からいって、ここも発展している街だということは分かった。日本国内にいても中国の内外格差の問題を耳にする事があるが、やはり海沿いにある都市は総じて発展しているようだ。チェックアウト後、街の発展具合をざっと見て近くの店で麺をすする。そして杭州駅に向かった。
二日で二度の列車ともなると、さすがに落ち着いて行動できるようになる。
切符で席を確認し、いくつかに仕切られた部屋の中に入る。杭州~広州間は距離があるので今回は軟座だ。軟座は一人あたりのスペースが広く、そのままベッドにすることができる。
部屋に入り、しばらくすると老人と若い女性が別々に入ってきた。
女性は「今どき」の格好をして、部屋に入るなりすぐに私の上にあるベッドに上ってしまった。
音楽を聴いているらしく、上でたまに鼻歌を歌いながらベッドをきしませてリズムをとっている。そのたびに老人は「最近の若い者は…」という表情で苦々しく女性を見上げる。私は老人に筆談を試みた。
何とか筆談を交わしていくうちに、老人は定年退職した元鉄道員だったことが分かった。実家に戻る途中らしい。
「今は客だよ」老人は言った(書いた)。
そういえば、そろそろ旧正月の時期が近づいてくる。
中国やベトナムは正月よりも旧正月の方が大事で、旧正月が近づくと都会にいる者は一斉に帰省するそうだ。何かの本で「旧正月の人民大移動」と書かれていたのを思い出した。
老人は気難しそうな外見の中に、中国で失われつつあるマナーを隠し持っているような人だった。
大抵は無視をされ、逆に言い返されることもあったのだが、途中、女性の鼻歌が大きくなると「うるさい!」というように女性に強く声をかけていた。
途中、
上海南~杭州間のことを思い出した。陳さんにはとても世話になったのに、何もお礼をすることができなかった。代わりといっては何だが、この穏やかな老人にお礼をしたい。
交流のため用意していた歌舞伎の絵葉書を渡した後、陳さんのことを話し、中国人の親切に対する礼としてあなたに受け取って欲しいという旨を伝えた。
老人は「謝謝」と言うと、やがて席を立ち部屋を出て行った。外で鼻をすする音が聞こえ、しばらくして戻ってきた時の顔には涙の跡があった。
そして駅が近づくと涙の乾ききっていない目を私に向け、「それじゃ」とゆっくり降りていった。
一人っ子政策の影響なのか、上海では若者が老人を敬う姿は見られなかった。地下鉄で席が空くと、その席を奪い合って若者が老人を押しのけることもあった。
老人が去った後、鼻歌が響く部屋の中で、私は中国の行く末を案じた。そして「うるさい!」と言おうとして、ふと気づいた。
…いつの間にか老人の考え方を受け継いでいたのだろうか。
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杭州広州間2~香港商人~
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中国・目次
軟座の様子。緑色の物は私のリュック。