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by mlsenyou
 
SARS報道の当時(シンガポール)と鳥インフルエンザ、狂牛病問題
マラッカからシンガポール行きのバスに乗った。早くも国境越えだ。
入国手続きで珍しくたくさんの質問を受けた。
外国のハンコが増えてきたせいだろうか。それともSARSが流行っているからだろうか。

この頃、シンガポールではSARSの流行が大々的に報道されていた。
ネットのニュース画像を見てもマスクしている人ばかりで、入国したら相当危ないんじゃないかとさえ思わせる。
しかし、現地駐在人からの情報では、世間話や笑い話にSARSネタが使われている程度らしい。クシャミすると「あっSARSだ」といって笑うという程度の。

まあ、普通に考えれば又聞き報道よりも、現地の実体験に基づく話の方が真実に近いだろう。
それでも念のため、SARSについて医学系のHPを片っ端から調べてみた。
ある程度の抵抗力を持っている大人なら過剰に心配するものでもなさそうだ。結局は気持ちの問題ということだ。
そう思い、普通に入国した。

バスから降り、街を歩く。
マスクをつけている人は目の届く範囲内にはいない。
やはりその程度らしい。

もともとニュースをそのまま信じない方だったが、ここまで大げさに報道されていると、ニュースというものが何なのか分からなくなってくる。極端に言えば、世間話のネタを提供するためのフィクションも一部の記事には存在するのだろう。SARSの場合は事実を数倍に誇張した報道と思われる。慎重といえば慎重だ。

確かに慎重なのが悪いとは言わない。
ひょっとしたらそのおかげで、チェックが厳しくなり、感染が最小限に抑えられているのかもしれないからだ。
ただ、報道の影響で順調だったはずの経済に大きなダメージを与えてしまうのもどうかと…SARSそのもののリスク回避策と、リスク回避した結果とのバランスは合っていたのだろうか?リスク回避の方法はあまりにも過剰すぎたのではないだろうか。

*ここから脱線*

これを考え始めると、鳥インフルエンザに関する対策も疑問に感じる。
感染したファームのニワトリを全部殺したって、渡り鳥が感染源って話も出てるんだから、あまり意味ないのでは?それに対策そのものの効果自体も疑問だ。ニワトリを全部殺して消毒しただけでそこにあったウィルス全てが消えるのか?既に外部に散っているのではないだろうか。
そう考えると、養鶏場の経営者が度を越えたとばっちりを食ってるようにしか思えない。
対策とっている人には悪いが、いくら水際で頑張っていても、鳥ウィルスは豚ウィルスに変異して、最後には必ず人型になる。現時点の対策が「早いか遅いかの違い」になるかどうかも怪しい。ならばウィルスの構造解析と変異後を想定した対策に集中した方が効率が良い気がする。

狂牛病問題も疑問だ。
牛の感染率と、それを食した人の病気発症率を考えると、「交通事故が怖いから車の輸入を全面的に中止しました」って言ってるのと大差がないような気がするけど。
この手のことに関して、日本は心配過剰なんじゃない?特に日本人の潔癖度はある意味異常だし。

・・・最後の方は毒舌気味だけど、とりあえず、どんな情報でもある程度、割り引いて判断した方が良さそうだ。

戸惑う。(シンガポール)
シンガポール目次
# by mlsenyou | 2005-03-25 19:00 | シンガポール | Trackback(7) | Comments(5)
 
現地で字幕映画を観た(マラッカ)
メラカ(マラッカ)で泊まった宿(Travelling Inn)の近くにショッピングの複合施設があった。
とても大きな建物だ。

中はたくさんのテナントが入っていて、見るだけでも楽しい。
ここには映画館も入っているようだ。さっそくのぞいてみる。

「ジョニー・イングリッシュ」が上映していた。ローワン・アトキンソン主演の映画だ。
以前「Mr.ビーン」のビデオにはまってたことがあったので、迷わずにチケットを買った。
上映が始まる。

予想はしていたが、字幕はやっぱり中国語マレー語だった。
英語の聞き取れる部分と、意味の通じる漢字とマレー語の分析で話をつなげようと努力してみる。

絵に集中できない。

すぐにやめてそのまま映像を観ていたら、それだけで話がよく分かった。
内容は期待通りで観客全員が爆笑。

言葉が分からなくても、文化が違っていても観客全員を笑わせられる映画を作れるっていうのはすごい事だ。
とりあえず向こうで映画観る時は字幕は気にしない方がいい。

SARS報道の当時(シンガポール)と鳥インフルエンザ、狂牛病問題
マレーシア・目次
# by mlsenyou | 2005-03-24 17:27 | マレーシア本島 | Trackback | Comments(0)
 
メラカ(マラッカ)
マラッカ。
大航海時代に多少とも憧れを感じている人はこの辺りに着くとワクワクしてくるのではないだろうか。
大航海時代とは、スペイン、ポルトガルなどの欧州列強国に属する船乗りが、国の威信をかけて新大陸や暗黒大陸、その先にある胡椒や黄金を求めて開拓をした時代のこと。
当時、発見される側としては、とんでもなく迷惑な話で、今ある複雑な国際問題はすべてこの時代を原因にしているんじゃないかと思うけど、欧州側の観点から一つの歴史として見ると、実に冒険心をくすぐるのだ、これが。
「ONE PIECE」の作者も間違いなく大航海時代に強い影響を受けているだろう。

そんなわけで、マラッカ。
つい最近、日本の船が海賊に遭ってしまったことで有名になったけど、ここにはマラッカ海峡がある。マラッカ海峡は東方貿易のルート上、重要な場所で貿易の拠点となる地域だった。
様々な文化の融合する場所。
中国やウズベキスタン等を経由していく貿易路が陸のシルクロードなら、マラッカ海峡を経由していく船の交易路は海のシルクロード。

そんなマラッカから海を見て、当時の様子を想像してみたい。
なので、宿に着くとすぐに海に向かった。
どんな海なんだろう。

カモメがピヨピヨ、ラッコがプカプカ、太陽ギラギラ。
太陽以外はたぶん無いだろうけど、あったらいいな~と期待しながら向かう。気分はウカレポンチ。半分スキップの歩調でときどきもつれる。
そして着いた!!

…普通の海でした。

現地で字幕映画を観た(マラッカ)
マレーシア・目次
メラカ(マラッカ)_b0007425_14225134.jpg

聖ザビエル教会。
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欧州の船
メラカ(マラッカ)_b0007425_1433114.jpg

現地船の復元。普段これを使っていたわけではない…と思う。
# by mlsenyou | 2005-03-23 14:41 | マレーシア本島 | Trackback | Comments(0)
 
クアラルンプール
クアラルンプールに着いた。
この都市は緑が多いように感じる。
気候が緑の繁殖に力を与えているのは確かだが、この都市自体が自然との共生を考えているように思える。
高いビルとあふれる緑の木陰。
この旅を通じて幾つかの都市を訪れたが、その中でもクアラルンプールは一番好きな都市かもしれない。

クアラルンプールでは今までとは違い、観光以外にも買い物を多くした。
旅の途中で読む本がなくなってしまい、最近の小説が読みたくなってきたのだ。
そこで村上龍の「共生虫」を買ってみた。この都市に自然との共生を感じたからタイトルの「共生」だけで買ってしまった本だ。内容はまったく違っていたが(笑)
村上龍は雑誌等の企画でたびたび目にするが、小説を読むのは初めてだった。サッカーやビジネスにも精通していて、かつ小説も書ける。マルチな才能の持ち主だ。

この国はベトナムやカンボジアとは異なり、だいぶ前に「値切りの文化」を卒業し、「値札の文化」にある国だ。だから食事や買い物が今までよりも楽に感じる。騙されるような事もあまりないのだろう。
…と思っていたら、翌日、朝マック中にわけの分からん詐欺師集団に声をかけられた。
こういう連中はやっぱりどこにでもいるらしい。

妹と日本語の手紙と家庭料理(バンコク、クアラルンプール)
マレーシア・目次
クアラルンプール_b0007425_10333675.jpg

クアラルンプール証券取引所。前の仕事で少しだけ関わりがあったので記念撮影。
クアラルンプール_b0007425_10342961.jpg

ペトローナスツインタワー。夜景が非常にきれいだ。スキャナーの関係で画像にムラが出来てしまうのが残念。今度旅する時はデジカメを持って行こう。
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鳥がたくさんいる施設のダチョウくん。
クアラルンプール_b0007425_10371152.jpg

幸せの青い鳥か。ハトの仲間のような気もする。
クアラルンプール_b0007425_10364199.jpg

バタフライパークの蝶。三本ツノのカブトムシもいた。
# by mlsenyou | 2005-03-21 10:42 | マレーシア本島 | Trackback | Comments(0)
 
始まりも終わりもない世界
始まりも終わりもない世界

またもや本編から脱線。
昔、ふと思ったことを書きたくなってきた。
書き始めていたら猛烈に長くなったので、簡潔にまとめることにする。それでも長いが…

ある物質を細かく見ていくと、原子、クォーク…等と新しく謎の言葉がどんどん出てくる。
逆に大きく見ていくと、地球、太陽系、銀河…等とこれまた新しく謎の言葉がどんどん出てくる。
小さい分野も大きい分野も、これからも専門家にしか分からないような謎の言葉が出てくるのだろう。

なぜこれらを探し続けるのだろう。理由としていくつか考えられる。
1.新技術の開発、文化水準の発展のため。
2.世界の本質が何かを知るため。
3.死後に何があるのかを知るため。
4.その他

現在、これらの理由は人により様々だろうが、人類誕生時から今に至るまでの経緯から順番を推測してみる。
おそらく3から2に派生し、それが1につながることに気づいたというところだろう。
つまり3の「死後に何があるのかを知るため」が根源としての理由と思われる。
生存本能から結びついた疑問だから、これは深く根強い。

人には明確な終わりがある。
「死ぬ」ということ。
ある特別な思考をもった人たちは例外として、たいていの人は死が怖い。
生まれる事について人があまり恐怖を感じないのは、「生」は自分にとって既成事実だからだろう。
死は誰にでも確実に訪れる予測不可能な未来だから怖い。
なぜ怖いか?
詳しく書くと本題から大幅に脱線するので一言に凝縮する。
人は思考する生き物であり、思考することこそが自分自身の存在の本質だからだ。
(なお、死に関しても心臓死や脳死など様々な捉え方があるが、本文では「人」の死は「思考の永久停止」と捉える)

それゆえ、人は「思考という自分自身」の存在の消滅を逃れるための「その先の世界」を求めるようになる
「その先の世界」の存在を求めるのは人が人である所以だ。「存在の本質である思考をする場が無くなる」と思うことが本能的に怖いからということだろう。
だから、人は「今」を基準とした「その先の世界」である過去や未来に興味をもつ。
ごく身近なところでいえば、アルバムを開くことや将来像を思い描くことも過去や未来に興味を持っていることの例だ。
ただ「その先の世界」はアルバムなどの範囲に納まらない。その先の世界を証明すればするほど新たな「その先の世界」を探そうとする。それは冒頭に上げた宇宙やクォークの先を探す事にも通じている。

人には明確な終わりがある。
そのために人は「その先の世界」を探そうとし、無限に続く作業を行い続ける。

まるで鏡の中に映る鏡の終焉を探すような作業だ。
終わりを知りたいのに、知るのが怖いという矛盾を抱えながら探求を続けている。

「その先の世界」を探そうとするということは「全ての現象には必ず始まりと終わりが存在している」という前提が無条件に存在しているからなのだろう。

そもそも、その前提は正しいのか。
人に明確な終わりがあるからといって、人以外の現象に明確な終わりがあるのだろうか。
確かに人以外の生き物にも終わりはある。
地球もいつかは消滅する。
では、宇宙より大きく、クォークよりも小さい存在はどうだろう。
たぶん終わりはあるのだろう。

それらが終わった後は何が存在するのだろう。
エネルギーが物質を構成し、物質がエネルギーに変化することの繰り返しだろうか。
では、そもそも、その繰り返しが始まった原因は何だろう。

その繰り返しの始まりは、その繰り返しの終わりは存在するのだろうか。

そもそも「始まりと終わり」という概念自体が正しいのだろうか。
「始まりと終わり」という概念は、人が生まれ死んでいくという必然の過程の中で得た、不確実な経験則に過ぎないのではないだろうか。そこに絶対的な前提を置く事は正しいことなのだろうか。

全ての現象を包括的に捉えてみよう。
そこには「始まりと終わり」も存在するが、それを包んで「始まりも終わりもない世界」が存在するように思えないか。
あるいは理解を超えた世界の存在。

こういうと、宗教的な意味合いを持ち始めてしまうのかもしれないが、神や仏などというものは人が人の枠内で考えた概念に過ぎない。
もし馬に宗教があったら、そこに出てくる神や聖人(馬?)は、人ではなく馬を基準に考えられているだろう。
人は馬の考えた世界観を信じない。馬も人の考えた世界観を信じない。だから宗教の提示する世界観は普遍的ではない。
以上の理由から、本文は宗教的な意味合いはなく、事実の提示とそれに対する推論だ。
ただ、一つの哲学としての宗教観やそれに付随した文化、芸術は大きな尊重の対象ではある。

始まりも終わりもない世界。

その中に物質の変化とそれらの離合集散という「始まりと終わり」が存在する。
足場がない世界に足場を求めれば、無いということに対し恐怖を感じる。
ならば、そもそも最初から足場の無い世界に存在していることを認識すれば良い。
揺らぐことを怖れるのではなく、もともと揺らいでいることを認識していれば無駄に不安になることもない。

こんなことを昔、考えていた。
しかし、ふと、ここで最大の疑問が芽生えた。

「だから、それがどーした?」

永久に解くことの出来ない疑問だ。
こんなこと考えているんだったら、美味しい晩飯の調理法を考えた方がよほど有益だろう。

※なお、余談だが、ギリシャ神話には時間という概念がなかったという。そう考えると古代ギリシャ人には始まりと終わりという概念が薄かったのかもしれない。
# by mlsenyou | 2005-03-19 15:04 | Trackback(1) | Comments(6)


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