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by mlsenyou
 
カテゴリ:ボルネオ(カリマンタン)( 16 )
 
ボルネオ(カリマンタン)の旅路・目次
~ルート~
 1.インドネシア本島・ジャカルタ→ボルネオ島(カリマンタン)・ポンティアナク(飛行機)
 2.ポンティアナク→マレーシア領クチン(バス)
 3.クチンミリ(バス)
 4.ミリ→ブルネイ領クアラバレット(バス)
 5.クアラバレットスリア(バス、ボート)→バンダルスリブガワン(バス)
 6.バンダルスリブガワンムアラ(バス)→マレーシア領ラワス(船)
 7.ラワスコタキナバル(バス)
 8.コタキナバルキナバル山(バス)
 9.キナバル山ラナウ(ミニバス)→セピロック(バス)
10.セピロックサンダカン(バス)
11.サンダカンコタキナバル(バス)
12.コタキナバル→マレーシア本島・ジョホールバル(飛行機) 

ブルネイ大使館への連絡先はここをクリック!

~目次~

 1.ボルネオ
 2.ポンティアナク(インドネシア領)
 3.赤道記念塔(インドネシア領ポンティアナク)
 4.祖父の見た景色(ポンティアナク~クチン間)
 5.SARS疑惑をかけられる(ポンティアナク~クチン間)
 6.クチン(マレーシア領)
 7.VCD(クチン~ミリ間)
 8.外国で迷子(ミリ)
 9.ブルネイへ
10.バンダルスリブガワン(ブルネイ)
11.コタキナバル(マレーシア領)と大戦の痕跡
12.キナバル山
13.ラフレシア
14.オランウータン保護センター(セピロック)
15.サンダカン(マレーシア領)


マレーシア編
メイン目次

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by mlsenyou | 2005-05-27 02:36 | ボルネオ(カリマンタン)
 
サンダカン(マレーシア領)
セピロックからサンダカンに着いた。
祖父の足跡を辿る目的もここで終わる。といっても、その後の確認で祖父はサンダカンまでは来ていないらしいので、コタキナバルで足跡はもう辿り終えていたのだった。しかし、この街には多くの日本人も眠っている。だから祖父に代わって日本人墓地を訪れることにしていた。自己満足に過ぎない孝行だが、ここへ来ないで帰るよりはマシな気がした。

サンダカンには一泊だけして、翌日の昼にはコタキナバルに戻る予定だ。
ついてすぐにバスの予約をし、この日は街歩きをすることにした。
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この街も戦争の跡らしいものは見当たらないが、サバ州のパンフレットを見ると、いくつか痕跡が残っているらしい。翌日、バスに乗る前にこれらを訪れることにした。

翌日、タクシーを捕まえる。
「聖マイケルと天使達教会、アグニスキースの家、それと日本人墓地に行きたい」
パンフレットを見せながら言うと、運転手はこう言った。
「日本人墓地?外国人墓地とは違うのか?」
「戦時中の兵士が眠っている墓地としか分からないんだ」
実際のところ、本当にこれしか分からなかった。
インターネットで日本人墓地の場所を探したのだが、サンダカンに「ある」ことは分かっても、場所は書かれていなかったからだ。

運転手は近くにいた仲間達や道を歩いている老人、女性に片っ端から聞いてくれたが、誰も日本人墓地の存在すら知らなかった。
「ごめんな、誰も分からないみたいだ」
「そうか…」
さて、どうしよう?
考えていると、運転手はとりあえず場所の分かる二つを訪れて、他に知っている墓地にすべて行ってくれると言う。分からない以上、方法はそれしかない。運転手の提案に任せ出発した。
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聖マイケルと天使達教会。
ここは戦火から免れた教会らしい。
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アグニスキースの家。捕虜になった人の家。今は資料館になっているが、この辺りは治安が良くないらしい。

これら二つの場所を訪れる間に墓地は2~3箇所ほどあり、そのうちの一つで、中国人墓地の外れにあるいくつかの日本っぽい雰囲気のある墓地があった。
しかし、本当にこれが日本人墓地なのかは分からない。
あまりにも小ぢんまりしていたからだ。
それでもとりあえず手を合わせることにした。間違っていてもバチが当たるわけでもあるまい。それより時間がない。早く探さなければ!

…結局、「これが日本人墓地」という確信をもてないままバスの時間になってしまった。
「ごめんな、連れて行くことができなくて」
気がつかないうちに悲しそうな顔をしてしまったのか、バスターミナルに着いた時、運転手が申し訳なさそうに言った。
「そんなことない。お前のタクシーに乗れて本当に良かったよ、本当にありがとう」
日本人墓地の確信を持てなかったのは残念だったが、運賃をぼったくることもなく、一生懸命探してくれた運転手に会い、彼らの優しさに触れられたのは本当に嬉しい事だった。

そして今、これを書くにあたって改めて日本人墓地に触れているHPを探した。
以前よりもたくさん検索にかかる気がする。
いくつかのHPに日本人墓地の写真が載っていた。
ちょうど、私が手を合わせた墓地だった。
本当に良かった。

ジョホールバル
ボルネオ(カリマンタン)・目次
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by mlsenyou | 2005-05-27 02:33 | ボルネオ(カリマンタン) | Trackback | Comments(0)
 
オランウータン保護センター(セピロック)
ラフレシアを見た後、バスに乗り換えてオランウータン保護センターのある街、セピロックに向かった。

オランウータン保護センターでは密猟や事故など何らかの理由で親を失ってしまったオランウータンを保護し、野生に帰す取り組みを行っている。というのも、オランウータンは絶滅の危機にさらされている種だからだ。
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その理由はもともとの個体数が少ないことや、彼らの生活スタイルも関係しているが、大きな理由は人による森林伐採と密猟だろう。

「森の人」であるオラン(人)ウータン(森)にとって、森林伐採による急激な環境の変化は生活環境の変化そのものだ。移動範囲が狭くなり、寝る場所や食す場所が減れば子孫を残しづらくなるのは当たり前のこと。それに加えてペットや食肉目的の密猟が行われたのだから、その過程で個体数が減っていくのは必然だろう。自然による絶滅というより人為的な理由に基づく絶滅に近づいている種だ。「人による行為も自然のうちだ」というならば、これも自然の流れではあるが。

そういった意味で、オランウータンという種の保存に取り組んでいる、この保護センターは重要な役割を担っているといえる。

バス停からかなりの距離を歩いて安宿にチェックインし、それからまた、かなりの距離を歩いて
保護センターに入った。

保護センターは森の中に通路がつくられており、いたる所で様々な植物の説明がされている。普通に通路を歩いていてオランウータンを見つけることは至難のわざだが、餌の時間には彼らが集まってくるので、様子を見ることができる。しかしオランウータンに混じって普通の猿もちゃっかりと餌にありついていることが多い。
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保護センターに着くまでにセンターの関係者と知り合いになったため、特別にオランウータンを間近で見る機会を与えてもらった。通常は餌場で見るか、係員が時間限定で連れてくる時にしかオランウータンを見ることはできない。密猟などによって親を失ったオランウータンにとって、多数の人間に見られることはかなりのストレスになるらしいのだ。そのため、オリに入っているオランウータンにはあまり近づかないように言われた。

間近でオランウータンを見た後、芝生にいるオランウータンと写真を撮らせてくれた。この子は人に慣れてきたので手をつないでも大丈夫という。
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カメラを構えるとどんどんこっちに近づいてくる。正直言って少し怖かった。
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そして手をつないで写真を撮った。その後、手をかじられたのだった。
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サンダカン(マレーシア領)
ボルネオ(カリマンタン)・目次
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by mlsenyou | 2005-05-25 16:38 | ボルネオ(カリマンタン) | Trackback | Comments(2)
 
ラフレシア
ラフレシア。かつてその色や腐った肉のような臭いから「地獄の花」と呼ばれたこともある巨大な花。ラフレシアの中には世界最大の花になる種もあるという。オランウータンやジャングルと並んでボルネオの代名詞になるような有名な花だ。

ラフレシアは巨大な花を咲かすくせに、単体で生きられないという何ともバランスの悪い寄生植物だ。腐臭のような臭いを発するのはハエに受粉をさせるためと言われている。

キナバル山に登ったのは5月中旬のことであったが、その際、コタキナバルのインフォメーションセンターでラフレシアの開花時期であることを教えてもらった。そこで、下山時にワゴンを頼み、ラフレシアを見せてもらうことにした。

ラフレシアのつぼみは色のついたキャベツのような形をしている。
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そして咲くと腐臭を発するということだったが、少し離れた場所からは腐臭を感じる事はなかった。たまたま臭いの弱い種だったのだろうか。
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ラフレシアは枯れると黒く変色する。「役目を果たしました」と言わんばかりに。
次の世代に種の記憶を伝えるため、わずか短い期間に花咲かせ黒く変色して朽ちていく。
そんな枯れ花を見ていたら、「もののあはれ」を感じてしまった。うーん平安時代。
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なお、「自然を愛する全ての人のBlog」によれば、ラフレシアはスミレの仲間であるらしい。

オランウータン保護センター(セピロック)
ボルネオ(カリマンタン)・目次
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by mlsenyou | 2005-05-23 17:33 | ボルネオ(カリマンタン) | Trackback | Comments(2)
 
キナバル山
コタキナバルのインフォメーションセンターでキナバル山への行き方を教えてもらう。早朝にバスが出ているらしい。

翌朝、宿を出てバス乗り場へ行く。しかし無数のバスはあれどもキナバル山方面のバスはどこにも出ていない。インフォメーションセンターの情報ではここに間違いないのだが…?
どこにも見当たらないので仕方なく近くを歩き回っていたら、全然違う場所にキナバル山方面のバスがあった。この日、たまたまコタキナバルでフェスティバルがあったらしく、それでバス乗り場も臨時変更したらしい。突然変更されても分からんって。
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バスはコタキナバルを離れ、キナバル山へ向かう。
キナバル山はボルネオで最も高い山であり、標高4000m級と、富士山よりも高い山だ。遠くから眺めるキナバル山の雄姿に気持ちが高ぶってきた。

キナバル山に着いた。
着くと、まずはじめに登山登録をしてポーターを雇うことになる。登山者の安全確認と現地の雇用対策といったところか。私のポーターはジーザンという名前で、体は小さいが超人的な体力をしている男だった。

ワゴンに乗って登山口まで進み、登山を始める。
はじめは楽勝でどんどん進んでいったが、ここはやはり高山。酸素不足なのかすぐに体力がなくなった。何度も休憩をとる私にジーザンは呆れ顔をしている。すぐバテるのは酸素不足もあるが、リュックが重いこともある。こまかなものをちょこちょこ買い込んでしまい、処分もしていなかったため、リュックの重さは17kgにも達していたのだ。白人なら珍しいことではないが、コンパクトにまとめる傾向のある日本人バックパッカーとしては信じられないくらいの重さだ。馬力があるわけでもないのに、この重さをしょって4000mを登ろうとしている私は間違いなく無謀。結局ムエタイジムで壊したヒザを再び壊し、下りはジーザンにしょってもらうことになってしまった。かなりトホホだ。
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そんな調子なので、山小屋に着いた時は文字通りヘロヘロ。力尽きる直前ってこんな感じなのか…ってくらい疲れ果ててしまった。
ジーザンが言う。
「天気しだいだけど、明日は早いよ」
明日が来て欲しくない…
あまりに疲れてしまったので、久しぶりに朝、「普通に起きて出発の準備をしている夢」を見てしまった。
目覚めると、何やら天気が悪い。
天候の関係で登頂はできなくなってしまった。残念ではあるが嬉しくもあった。

また少し寝て下山することにする。
下りはジーザンにクソ重いリュックを任せ、代わりにジーザンの普通のリュックを背負うことになった。下りの途中で見る景色は美しい。晴れた日の頂上はボルネオのすべてを眼下に治めることができるのだろう。そう思うと天候不順が残念になってくる。喉下すぎれば何とやらだ。
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あまり馬力がないので登山には弱かったが、下山にはかなり自信がある。重力に従って下っていくだけだから。しかも今回はリュックも軽くなっているので、体力にもかなり余裕がある。なので、山小屋から登山口までほとんど休まずに駆け下り、通常3~4時間かかる道を1時間半で下りきった。
登山中のヘロヘロ具合を見ていたジーザンは私の下りの豹変ぶりにかなり驚いていた。
しかし、それ以上に私はジーザンの体力に驚いていた。
あのリュックをしょったまま平然と私のマラソン下山について来ているのだから。自分でいうのも何だが、かなり急ぎ足で走ってたぞ。
行き交う現地民が「首筋」で荷物を運んでいるのが面白かった。この辺の人たちはみんな超人なのかもしれない。オリンピックに出たらメダルも夢ではないのでは?

ラフレシア
ボルネオ(カリマンタン)・目次
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by mlsenyou | 2005-05-23 16:56 | ボルネオ(カリマンタン) | Trackback | Comments(2)
 
コタキナバル(マレーシア領)と大戦の痕跡
移動日。
バンダルスリブガワンからバスでムアラに行き、そこからフェリーでマレーシア領ラワスに入る。
フェリーに乗っている間、大きなタンクのようなものを見た。おそらく海の中に油田かガス田があるのだろう。
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その後、バスに乗り、コタキナバルに到着した。

コタキナバルはサバ州の州都だ。州都だけあって今までのボルネオの街よりもさらに発展している。もちろんバンダルスリブガワンは別格なので比較対象にならないが。

ここは大戦中、日本軍の拠点になった場所だ。おそらくこの辺りは祖父のいた場所に近いのだろう。街のどこかに、何か戦争の痕跡が残っているのではないかと思い、いろいろ歩いてみたが、残念ながら街そのものに痕跡を見つけることはできなかった。大戦時に連合軍の爆撃によって壊滅的な被害を受けたかららしい。そこまで街をボコボコにしておきながら、大戦終結時には日本を悪魔のように扱う連合国…うーん、どうなんでしょう?

街の中に戦争の跡を見つけることができなかったので、少し(かなり)歩いてサバ博物館へ行く。ここはサバ州の歴史や民俗など様々な情報を扱っている。
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大戦中のことについて詳しく書いてあった。内容は日本軍の侵攻の歴史に近い。コタキナバルを落とし、破竹の勢いでサンダカンやその南まで進んでいった日本軍は、やがて連合軍の猛反撃にあい、徐々に後退していき、敗北を認めた。その過程が書いてある。写真と文章を読んでいたが、一枚の写真を見た時、髪の毛が逆立ちそうになるくらい怒りを感じた写真があった。

敗北時の調印の写真だ。

連合軍の人間に囲まれ侮蔑の視線を浴びながら、でっぷりと太った司令官が腕組みをする前で小さな日本人が敗北を認めるサインをしている。
仮にもボルネオ島での司令官を務めた者が、小さい体を余計に小さくして、丸い背中を見せているのだ。

なぜ小さくなっているのだ。
なぜこんな奴らに負けたのだ。
情けない。悔しい。腹立たしい。

…やばい、これは危険だ!
自分の中にあるナショナリズムの内の最もくだらない部分が、あの写真を見た瞬間に一気に噴き出した。

写真は文章と違って直接に視界に飛び込んでくる分、見る者にとっては必要以上の衝撃を与えるものなんだ…

視覚に訴えるものの影響力の怖さを身をもって知った。
そして、こういうような「絵」による影響を受けている人たちのことを思った。
彼らが私のように激情に駆られたならば、そこではもはや真実も虚構も関係はない。もし自分がそんな教育を受けてきたとしたら…

こんな感情にさらされてしまったけど、俺は本当は「No border」が好きなんだよー!
国籍かまわず、みんなでカップヌードルを食っていたいもんだ。

キナバル山
ボルネオ(カリマンタン)・目次
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by mlsenyou | 2005-05-23 03:20 | ボルネオ(カリマンタン) | Trackback | Comments(0)
 
バンダルスリブガワン(ブルネイ)
バンダルスリブガワンはコンパクトながらも見所は多い。
短期の海外旅行として、ブルネイは意外と良い場所かもしれない。
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モスクの先にウォータービレッジがある。
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文字通り、水上に立てられている。ボルネオは雨の多い島なので、川もたくさん入り組んでいるのだろう。この辺りではウォータービレッジの成立は必然だったのかもしれない。
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この街には2日いたが、ほぼ同じ時間に同じような雨が降った。スコールだ。雨は赤道近辺に位置するこの国を程よく冷ましてくれる。雨の匂いをかぎながら街歩きをするのは気持ちが良い。
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ブルネイには東南アジア一美しいと言われるモスクがある。
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オマール・アリ・シャイフディーン・モスク。ブルネイの誇りとも言えるモスクだろう。
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モスクの側には大きな池があり、まるで鏡の世界への入口のようにモスクを映し出している。
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夜になると、モスクはライトアップされる。
昼とは一味違った魅力的な建造物が目の前に現れる。

なお、この他にも、王宮博物館(?)という博物館があった。
国王に関する情報がてんこ盛りで、王様ファンハウスといった感じだ。
国王の婚姻の際に使用された乗り物や、諸外国との交流の品々、国の宝物などといったものから国王の趣味まで、様々な情報がある。ここに入ればブルネイの国王通になれるかも。なお、国王はゴルフがお好きでいらっしゃいます。
私がブルネイに入った少し前に国王の結婚の儀があったらしい。その時は国民が大勢パレードに参加したそうだ。そういった点から考えると、この国における国王と国民の関係は比較的良好なようだ。政治上の重要ポストのほとんどに国王が就いているため、国王の権力は他国と比べて強いのだろうが、潤沢な資金を背景に善政を行っているように思える。石油の枯渇時が不安要素であるが、近年、新しい油田が発見されたので、当分の間は安泰のようだ。ちなみに石油がなくなった時のための教育がなされているのか、国民は英語が流暢だった。

コタキナバル(マレーシア領)と大戦の痕跡
ボルネオ(カリマンタン)・目次
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by mlsenyou | 2005-05-20 23:39 | ボルネオ(カリマンタン) | Trackback | Comments(6)
 
ブルネイへ
ブルネイに入国。
SARSのチェックはここでもあった。初めて体温を測られる。
クアラバレット、スリアを経由してブルネイの首都バンダルスリブガワンへ。当てにしていたユースホステルの受付が終わっていたので、やむを得ずクチンからの日本人と移動バスで一緒になったスウェーデン人の3人で普通のホテルをシェアした。
ブルネイは物価が高い。
それはこの国がボルネオで最もオイルマネーの恩恵を受けていることを理由にする。この国は無税であり、おそらく対外的に通貨も強いのだろう。ちなみにシンガポールドルとブルネイドルの交換レートはほぼ同じくらいだ。
バンダルスリブガワンで一番安いとされている宿はユースホステルであり、それでも10B$はする。ブルネイはバックパッカーにとっては長居しづらい国だろう。といっても日本の方が金かかるのだろうけど…

宿をとってから、それぞれ別行動でバンダルスリブガワンの街歩きを始めた。
ここはとてもコンパクトな首都だ。メインの地域なら徒歩で一日3~4周くらい余裕でできるだろう。
ブルネイには2泊したが、バンダルスリブガワンを見て回るだけなら2泊も必要なかったかもしれない。

バンダルスリブガワン(ブルネイ)
ボルネオ(カリマンタン)・目次

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国境を越え、バンダルスリブガワンに向かう途中。
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バンダルスリブガワンの水路。混ざり合わずに流れる所もある。
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by mlsenyou | 2005-05-20 23:06 | ボルネオ(カリマンタン) | Trackback | Comments(0)
 
外国で迷子(ミリ)
ミリでは日本人と宿をシェアした。
旅行人の掲示板にボルネオ行きのことを書いていた人だ。ボルネオに入る時期は近かったが、この島の面積は日本より広いし、3つの国に分かれているから、立ち寄る地域もたくさんある。だから会うことはないだろう…と思っていたら、ほぼ同じ日にクチンの同じ宿のドミトリーにチェックインしていた。

昼過ぎにミリに着き、安宿にチェックインした後、そのまま大衆食堂へ直行。ビールを思い切り飲みまくった後、酔ったまま街中を歩き回った。
そして日が落ちる頃、ネットカフェを探索する。宿の近くには見当たらなかったのだ。

ネットカフェの入っている建物は宿からだいぶ離れた場所にあった。
「もう道わかんねえよ」
「ああ、地図見ないとわかんねえな」
大きそうな建物に適当に目星をつけて歩いてきたので、道はほとんど覚えていない。

ネットカフェに入ったまま、しばらく時間が過ぎた。
「俺そろそろ帰るわ」
相方が言い出したので、地図を渡して先に返した。

その後、ネットを終え建物を出る。辺りはすっかり暗くなり、人通りも少なくなっていた。

帰り道が分からない。

地図を見れば何とか帰れるだろうと思っていたのだが、うっかり自分の地図を相方に渡してしまったのだ。ここに来た時は酔っていたため、目印等はほとんど気に留めていない。宿の名前も覚えておらず、かろうじて通りの名を英語で覚えているだけだった。

…まずい。

通りを英名で呼んでいる現地人などいるはずがない。
しかも、辺りはすでに暗く、同じ道でも昼間と夜では違うような道に見えてしまう。
街自体に治安の悪さは感じないが、さすがに野宿はしたくない。というより、宿をとっているのに野宿する旅人は世界中を探してもあまり見当たらないだろう。

必死になって探した。通りの名前を聞いてみても、案の定、通じない。
さんざん迷ったあげく、ようやく宿に着いたのはそれから2時間過ぎた頃だった。

ブルネイへ
ボルネオ(カリマンタン)・目次

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ミリの宿から見た街の様子。
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by mlsenyou | 2005-05-20 22:23 | ボルネオ(カリマンタン) | Trackback | Comments(0)
 
VCD(クチン~ミリ間)
クチンからミリへ向かった。
ミリの次はブルネイに入る予定だ。ポンティアナクからブルネイまでの距離はかなり離れているが、途中、立ち寄る街はクチンとミリだけになる。祖父の足跡を辿る上での場所はコタキナバルかサンダカン辺りだろうと見当をつけていたので、この辺りはだいぶはしょっている。そのためボルネオでは長距離移動をひんぱんに行っていたが、ベトナムやカンボジアとは違ってバスも道路もある程度しっかりしているため揺れが少なく、それほど疲れない。

バスの中ではVCDで映画を流していた。乗り物内でVCDを流すのは別に珍しいものではないが、何を流してくれるのかは毎回期待する。
ラオスではアイドルらしい女性が歌う、全曲同じ歌に聴こえるような歌謡曲だった。
カンボジアはターミネーターで、ラブシーンの時、カンボジア人だけがうれし恥ずかしそうにしていた。
さて、マレーシアは?
期待していると、ついに来ましたマレーシア映画。
小説家を目指す男性と女性のお話。
男性と女性は互いに心惹かれ、やがて両親の反対を押し切ってジャングルの中の滝つぼの上の小屋で暮らす。なぜ心惹かれたのかは早送りされたので分からない。
そのうち二人は女性の家族に見つかり、小屋でもめる。その際に、書き上げた小説を滝つぼに落としてしまう。滝つぼに散らばった原稿を拾うため、男が飛び込む。「うわー!俺の人生がぁー!」と言わんばかりの表情だ。滝つぼの上の小屋を選んだ理由は間違いなくこれを見せるためだろう。バレバレの伏線がかえって心地よい。
そして女性と喧嘩する。なぜ喧嘩をしたか?それは早送りされたので分からない。
そしてまた早送り。いつの間にか女性は見知らぬ村で子供やその家族と仲良くなっていた。
そこへ喧嘩をした男性が迎えに来る。共に将来を誓ってるんだろうな~と思う会話が始まる。そしていよいよ次の瞬間!

…VCDをジャッキーチェンに変えられた。

最後まで見せろっつうの!

外国で迷子(ミリ)
ボルネオ(カリマンタン)・目次
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by mlsenyou | 2005-05-20 06:02 | ボルネオ(カリマンタン) | Trackback(1) | Comments(0)


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プロフィール
1976年の早生まれ
埼玉県出身。
3年半リーマン生活の後、半年間、中国+東南アジア10カ国を旅する。
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 在ベトナム大使館の記事..
by ジェフ35 at 21:12
とても魅力的な記事でした..
by 株の初心者 at 17:25
なんというか面白い国です..
by 川村明宏 at 01:04
ちょくちょく拝見させてい..
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あの軍人が言っていたこと..
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