ミャンマーは軍事政権の共産主義国だ。
最近のニュース(2003年当時)で
アウンサンスーチーさんの拘束が取り上げられたように、軍事共産主義を推進する政府と民主化を求める国民の間には大きな隔たりがある。ミャンマー行きの準備をしていた頃、ちょうどマンダレーでスーチーさんが拘束されたという報道があったので、国内情勢がどうなっているのかが少し心配だった。ひょっとしたらマンダレーでは暴動がおきているのかも...と。
しかし、実際にミャンマーに入国してみると、暴動どころか、国民は政治の話を一切していない。
ゲストハウスに日本人留学生がいたので「なぜ?」と聞いてみた。
彼女が言うには、スーチーさん拘束のニュースはものすごい話題になったらしい。でも、街には秘密警察が数多くいるため、外で政府の批判をすることはできないとのことだった。
政府は国民が外部から情報を得ることを防ぐため、出版物や放送など様々な分野に規制をかけている。インターネットカフェは最近ヤンゴンに一軒だけできたが、ウェブに規制がかかっており、事実上みることはできない。メール自体のやり取りは比較的いろいろな場所で可能だが、これをするには政府が管理するプロバイダで個人アドレスを作るか(8$)、メール屋のアドレス経由でメールを送るか(一通1~2$)のどちらかしかない。またメールができたとしても停電やサーバーダウンが頻繁に起こり、電話回線自体も貧弱なため、突然使えなくなることもよくある。
軍事共産主義のせいか、アジア金融危機の余波が続いて投資先がないせいか、ミャンマーには航空会社以外の外資系企業はほとんど見当たらない。一見、外資系かな?と思っても、それは国内の企業で、マクドナルドに似たマックバーガー、ケンタッキーに似たフライドチキントーキョー、ファンタオレンジと思いつつ、よく見ると「ファンタジー」だったりと...ちなみに清涼飲料水はかなり健康に悪そうな色と味がした。
近年、外国に対して開放的になってきたとはいえ、相変わらず外資が入ってこず経済は停滞しているため、インフレは更に加速している。1~2年前の為替レートは1$=500~600Ktだったのが、現在は1$=900~1000Kt。大幅な通貨下落に伴い、Kt表示の物価もかなり上がっていて、ガイドブックに書いてある値段は全く参考にならないくらいだ。買い物や乗り物を利用する際、Ktではなく$を欲しがる人もたまにいる。彼らが言うには、来年はもっと通貨が下がると思うかららしい。直接には批判をしないが、言葉の端々から彼らが政府に対して失望しきっていることを感じ取れた。
ヤンゴンからピイに向かうバスに乗った時のこと。
席を隣り合わせた人がたまたま軍の関係者だった。仕官して三年目の青年だ。
彼はとても親切だったが、始めのうちはやたらと声を大きくしてこんなことを言っていた。
「私は射撃がとても得意で、練習が大好きです。昨日も一生懸命がんばりました」
「我が国のトップは軍の司令官も務めていて、我々は彼を非常に尊敬しています」
「我が軍は約210万いて、1948年1月4日にイギリスから独立したことを誇りに思っています。その結果、我が国は非常に発展し...」
などなど、こっちが聞いてもいないのに、次々と軍のことを話しはじめる。
やれやれ…と思いながら聞いていると、「あなたの国の兵士はどのくらいいますか?」とふいに聞かれた。今までそんな事を考えた事もなかったので、返答につまり「ウチは戦争をしないことになってるから、あなたの国ほど多くはない」と曖昧に答えるしかなかった。そして思った。これが軍事政権の発想なんだな、と。
それから幾度か話題が変わり、アメリカ・イラク戦争に移った時、彼は「世界は平和である事が一番です。アメリカは間違ったことをしました」と言った。
軍事政権の人もこういう発想を持っているのかと思いながら、「あなたの言っていることは正しいと思うよ」と答えると、彼はニッコリと微笑み、それから急に顔を緊張でこわばらせ、どもりながら私の耳元で囁きはじめた。
「私は軍人です。でも本当は平和が好きです。ただ、司令官が『やれ』と言ったら、私はやることになるでしょう」
どうやら民主化に動いている人々への弾圧のことらしい。
ミャンマー第二の都市であるマンダレーで、政府側の人間と一般の人々の会話の様子を眺めていた事がある。彼らはとても和やかで時折笑い声も聞こえていた。おそらく末端の人々は政府側も民間もそれほど変わりはないのだろう。そんな彼ら…政府側の人間は司令官が「やれ」と言ったらやらざるを得ないのだ。相手がどれほど仲の良い人たちであっても。
どもりながら発言した後の彼は、何かを言いきったような安堵の表情を浮かべていた。初め声を大きくして指導者と軍を褒め称えていたのは、どこで誰が耳を傾けているか分からない事に対するフェイントだったのだろう。また、私が外国人なので英語で話をすればバレないという予測もあったのだと思う。
打ち明けた後も彼は変わらず親切で、そして別れ際に私にこう言った。
「遠い場所からあなたはこの国にやって来ました。世界はこれからもどんどん狭くなり、やがて私達があなたの国に行ける日も来るでしょう。あなたにはいつか会える日が来るだろうから、私はあなたに『See you』と言います」
この国の人々は「やがて~だろう」という希望を含んだことをよく話す。
いつか軍事政権が崩壊した時、彼が軍人だったことを負い目に感じない社会になることを祈った。
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東京ラブストーリー・ヤンゴン編
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