セピロックから
サンダカンに着いた。
祖父の足跡を辿る目的もここで終わる。といっても、その後の確認で祖父はサンダカンまでは来ていないらしいので、コタキナバルで足跡はもう辿り終えていたのだった。しかし、この街には多くの日本人も眠っている。だから祖父に代わって日本人墓地を訪れることにしていた。自己満足に過ぎない孝行だが、ここへ来ないで帰るよりはマシな気がした。
サンダカンには一泊だけして、翌日の昼にはコタキナバルに戻る予定だ。
ついてすぐにバスの予約をし、この日は街歩きをすることにした。
この街も戦争の跡らしいものは見当たらないが、サバ州のパンフレットを見ると、いくつか痕跡が残っているらしい。翌日、バスに乗る前にこれらを訪れることにした。
翌日、タクシーを捕まえる。
「聖マイケルと天使達教会、アグニスキースの家、それと日本人墓地に行きたい」
パンフレットを見せながら言うと、運転手はこう言った。
「日本人墓地?外国人墓地とは違うのか?」
「戦時中の兵士が眠っている墓地としか分からないんだ」
実際のところ、本当にこれしか分からなかった。
インターネットで日本人墓地の場所を探したのだが、サンダカンに「ある」ことは分かっても、場所は書かれていなかったからだ。
運転手は近くにいた仲間達や道を歩いている老人、女性に片っ端から聞いてくれたが、誰も日本人墓地の存在すら知らなかった。
「ごめんな、誰も分からないみたいだ」
「そうか…」
さて、どうしよう?
考えていると、運転手はとりあえず場所の分かる二つを訪れて、他に知っている墓地にすべて行ってくれると言う。分からない以上、方法はそれしかない。運転手の提案に任せ出発した。
聖マイケルと天使達教会。
ここは戦火から免れた教会らしい。
アグニスキースの家。捕虜になった人の家。今は資料館になっているが、この辺りは治安が良くないらしい。
これら二つの場所を訪れる間に墓地は2~3箇所ほどあり、そのうちの一つで、中国人墓地の外れにあるいくつかの日本っぽい雰囲気のある墓地があった。
しかし、本当にこれが日本人墓地なのかは分からない。
あまりにも小ぢんまりしていたからだ。
それでもとりあえず手を合わせることにした。間違っていてもバチが当たるわけでもあるまい。それより時間がない。早く探さなければ!
…結局、「これが日本人墓地」という確信をもてないままバスの時間になってしまった。
「ごめんな、連れて行くことができなくて」
気がつかないうちに悲しそうな顔をしてしまったのか、バスターミナルに着いた時、運転手が申し訳なさそうに言った。
「そんなことない。お前のタクシーに乗れて本当に良かったよ、本当にありがとう」
日本人墓地の確信を持てなかったのは残念だったが、運賃をぼったくることもなく、一生懸命探してくれた運転手に会い、彼らの優しさに触れられたのは本当に嬉しい事だった。
そして今、これを書くにあたって改めて日本人墓地に触れているHPを探した。
以前よりもたくさん検索にかかる気がする。
いくつかのHPに
日本人墓地の写真が載っていた。
ちょうど、私が手を合わせた墓地だった。
本当に良かった。
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ジョホールバル
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